2006年「早良美術館るうゑ」より....2007年へ

2006年も後数日となりました。
こんにちわ。
「早良美術館るうゑ」です。




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今年「早良美術館るうゑ」のブログを始め、
いろいろな出会いがございました。
いろんなアーティストの方々との出会い、
「早良美術館るうゑ」のブログや
「早良美術館るうゑ」にいらして頂く
ステキな方々との出会い。
本当にありがとうございました。

心より感謝致します。
そしてこれからも、”美に憩う気ままな空間”として
「早良美術館るうゑ」どうぞよろしくお願い致します。

「早良美術館るうゑ」は来年9日まで冬休みを頂き
10日よりまた開館致します。
それでは、2007年最初の展示作品のご案内です。

田部光子さんの言葉の後、
館長随想の3回目も掲載しております。
どうぞ合わせてお楽しみ下さい。













『田部光子カット&油彩展』
2007年01月10日(水)〜01月28日(日)






Tanabe

早良美術館るうゑに捧ぐ     田部光子
 
思い出話では、菊畑茂久馬さんには、
かないませんが、.
わたしも加齢による思い出話を
少しはしたくなって来たようです。

早良美術館るうゑの思い出は遠く、
東義人さんが、RKBの気鋭のプロデユーサー
だった頃にさかのぽるのです。
美術館問題、平成の元気な女4人、
一枚の絵と画家、など多くの
テレビ出演をさせて頂きました。
定年退職二年前、早良美術館るうゑを
ご夫妻で開かれることになった時も、
オープン個展はわたしにさせて下さいました。
いつの間にか十数年、前庭の楓も大きくなって、
見事な紅葉で迎えてくれます。
まさに継続は力なり、
文子夫人の力強い協力があればこそですヨネ。

正月早々三度日の個展です。
どうぞ皆様の思い出話をお待ちしています。
                                                 
              (福岡市城南区在住)
















ー館 長 随 想ー


     
 私記 松田正平 その三                   東 義人

 十二年前の一九九四年(平成六)五月、早良美術館るうゑを開設した。
開館企画は田部光子展、二見矩子展と地元作家におねがいしたが、
早くも第四回は念願の松田正平展を企画した。
できるだけ早く松田正平作品を福岡の方々にも見てほしい、という気持と同時に、
私自身がしばらくは松田正平世界に浸りたいという思いが強かった。
 展示作品は東京の瞬生画廊に集めていただいた。販売可能を条件にした。
当り前のことだが正平さんに企画展示の了承をいただくための手紙をしたためた。 
正平さんからは巻紙に毛筆の一文を受けとった。その筆に俳味のある品格を感じた。


老いぬれば うらもおもても
       おぽつかな 紙のうらのべて
           字をかきにけり       (中川一政)
 ことしは かくがい暑さ御自愛おいのり申し上げます
         平成六年七月七日        松田正平


 正平展(八月三日〜九月四日) は予想以上の来館者を集めた。
その数もさることながら、福岡近隣に松田正平ファンが多いことに驚いた。
熱烈な正平心酔者にも出会うことができた。
中には「香月泰男よりも好きだな」と密かに私に告げる画人もいた。
はじめて正平作品に触れる方々の多くは「明るいですね」 「心が洗われるよう」
「一見稚く見えるけれども奥が深そうねえ」と口々に素直な感想をつぶやいた。
八月某日夕刻、リュックを背負って汗びっしょりの男性がみえた。
正平作品に格別の思いがあるようだった。
食い入るように作品を凝視していた。
これから夜行列車で由布院に回るとも言う。
彼こそが宇部菊川画廊オーナーの菊川俊雄氏だった。
爾来、松田正平さんに関連していろいろお世話になるその人だった。
油彩が中心だった。水彩、デッサンも合せて三十点。
風景、女性の顔、静物などバラエティに富んでいた。
約一ケ月間、正平作品に身近かに包まれて私は幸せだった。
 松田正平展は盛会裡に終り、拙館のイメージアップにつながった。 
正平さんに感謝して礼状を認めた。
翌年の一九九五年(平成七) は松田正平さんにとって厳しい年だった。
正平さんは高齢のこともあり千葉県市原市鶴舞の山里から
故郷の山口県宇部に帰って、
ひとり息子の孫次郎さん一家と一緒に生活したい、
という意向をおもちだということは間接的に耳にしていた。
この年正平さんは八二才、夫人は年上ときいていた。
夫人の万が一段と強いお気持だったときく。
ところが孫次郎氏が一月死去、行年五二才。
悲連の正平さんご夫妻は五月、鶴舞を処分して宇部に帰郷移住。
ひとり息子に先きに逝かれるとは正乎さん夫妻にとって
耐えがたいほどの衝撃だった。
経済的負担も八二才の肩にかかる。

 同年三月、下関市美術館での「喜多村知展」を観にいった。
事多村知は島根県生れで正平さんとも縁があり
東京銀座フォルム画廊に親しい物故作家である。
はじめて接した私はその荒々しい剛直で
のぴやかな筆致の風景画に驚嘆した。
さらに展覧会企画書が菊川俊雄氏であることを知って、
氏の熱意と腕力に一目を置いた。
そして別れ際に菊川画廊の位置図を描いてもらった。

 六月某日、家妻の運転する事ではじめて宇部の菊川画廊に行った。
この時は正平さんが目的ではない、まだ宇部帰郷のことは知らなかった。
偶然にも「きょう午後、正平さんがここに見えますよ」と菊川さんが言う。
時間を見計って中食をとるため、そば屋「むさしの」に行く。食べ終った時、
小暗い店内の少し離れた席の中から野太くて山口なまりのある老年の声を聞いた。
しばらくあってそれが正平さんであることに気づいた。
正平さんグループも立ち上るところだった。
思いきって挨拶した。正平さんはニコリとされた。私を思い出されたようだ。
そして連れの方を紹介してくださった。「これは家内」、大柄の上品な方だった。
そして「こちらは後家さん」と言われた時にはおかしかった。
笑い声がもれた。亡くなった孫次郎さんのお嫁さんのことだった。
それぐらいは私にも推察できたのだが。あと一人は孫娘さんだった。
ここで夫人以下三人とは別れて、
菊川画廊行きを予定されていた正乎さんを乗せて同道した。 
正乎さんは優しかった。俗に言う好々爺の感じだった。
ただ移転直後もあってかその外貌は少しほっそりみえた。
 「むずかしいね絵は。何年、何十年描いても分らん。
描けば描くほど分らなくなる。
分らんから描きつづけるのかもしれん。
他人がいいよと言ってくれても自分ではなんでこれがいいのか分らんもんね」。
あらためて正乎さんの謙虚さに頭が下る。
油絵は体力的にきついな、と言われながらもアトリエを
つくるつもりであることをさりげなくおっしゃった。
三十分ほど応待していただいた。
そばに居るだけで私は満たされた。
この日は幸運だった。
東京で最後にお会いしてから何年か。
この日が宇部で爾後十回近くお合いする最初の記念すべき日であった。
                       

.....

続きは来年...。









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この記事は、『るうゑ通信』にて連載しているものを転載致しました。
『るうゑ通信』は、「早良美術館るうゑ」の事をさらに広く知って頂くよう
開館以来、通巻117号を数え発行しております、
大変興味深い小冊子です。

送料共に、
2年間12回3300円送料込み(一部200円)
にてお送りしております。
まずはコメントコーナー、もしくは大変お手数ですが
お電話にてその旨お知らせ下さい。
こちらからその後ご連絡申し上げます。
お手数おかけ致しますがどうぞ宜しくお願い致します。


今年も、ありがとうございました。
また2007年もどうぞよろしくお願い致します。

館長

12月展示のお知らせです。

こんにちわ。
「早良美術館るうゑ」です。

いつも「早良美術館るうゑ」のブログを
見て頂き、そしてたくさんのアクセスにとても感謝しております。
本当に、ありがとうございます。

今年も残すところ一ヶ月となりました。
2006年最後の展示作品は「大穂迢雲」さんです。
とても季節感を感じる素晴らしい作品ですので
是非お越し下さい。

そして大穂迢雲さんの言葉の後、
館長随想の2回目も掲載しております。
どうぞ合わせてお楽しみ下さい。

『大穂迢雲作品展』
2006年12月06日(水)〜12月24日(日)


Oobo



のぶおちゃん、楽隠居はいかんよ!」と忠告してやんしゃったおばしゃんは、三年程前に死んでしまいんしゃったです。
 五十五歳定年の、ちりめんじゃこのしっぽのような運送会社を、定年退職して、雀の涙にもならない退職金を、ありがたくもろうて、一年間失業保険を受けながら、ぶらりぶらりしている時に、大津公園の散歩道で、ぱったり逢うて、愛のムチの言葉をいただいたのでありました。
 無能な私は、稼ぎのいい仕事はなく、半隠居の仕事を見つけて、十年がすむ−ずに過ぎました。
 数年前、「半分降りる」 「半隠居の勧め」という本が、話題の本として、新聞の書評欄に出ていました。面白いですね−。
 半隠居のまにまに描いた絵。
るうゑでは、四年八ケ月振りです。東さんは、私の画風を、文人画風と言われたけれども、当っているような、いないような。
                                                 (福岡市城南区在住)


ー館 長 随 想ー


                          
 私記 松田正平 その二          東 義人

 昭和五〇年代、福岡で松田正平作品に接することはなかった。
福岡の画廊周辺で話題になることもなかった。
ところが昭和五九年、正平さんが日本芸術大昔を受賞されると様子がすこし変ってきた。
当賞は大手出版の新潮社仕切り、選考委員は井上靖、
大岡信そして洲之内徹各氏で同質の第一回受昔者は香月泰男画伯。
十五年の時間差がなぜか程よく思われてうれしかった。遅すぎるとは思わなかつた。
 昭和六〇年十月、宇部市文化会館で「松田正平−第16回日本芸術大賞受賞記念展」が開かれた。
当展は銀座フォルム画廊中心の画商グループの企画によるもので、
初期から近年まで五〇点余の油彩作品が展示された。周防灘や祝島風景、
バラ図や裸婦や「灯台」や「眠る人」も。
会場でたまたま正平さんを見かけた。前傾姿勢で小走りに移動されていた。
呼びとめて挨拶しスナップ写真を撮らしていただいた。
故郷での受賞記念個展とあって正平さんは活きいきとみえた。
この時正平さんは73才。同伴してはじめて正平さんと出会った妻は
 「作品と容姿が似ている」と後で囁いた。 展示作品の一部は購買可能だった。
一点、いづれかを選ぶか大いに迷った。結局は妻に任せた。それが四号の裸婦像である。
 正平さんには時折、手紙を出していた。中に私が担当したテレビ番組のDMもあった。 
正平さんからいただいた最初の便りは昭和62年3月7日の消印で市原市鶴舞発。
 「いつも色々と有難く存じます。幾度か御会いして居て、いつも失礼、
御寛容お願いします。貴兄の作られたお作品、ぜひ拝見したいものです。御れい迄。」 
さらに一週間後の第二信には感動した。
「貴兄の作品を拝見しました。民放にしてはきまじめなお作で最後迄みせていただきました。貴兄は若いので元気で歩く事が出来て幸ですね。私はときどきパリの昔の住いをたずねて五十年昔とかわらぬ街をなつかしみましたがもう行けなくなりました。御元気で。」
 正平さんのやさしさと律儀さと、さらに75才の自分をいたわる厳しさを
二通日の文面にみることができる。

.....

続きは次回。





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この記事は、『るうゑ通信』にて連載しているものを転載致しました。
『るうゑ通信』は、「早良美術館るうゑ」の事をさらに広く知って頂くよう
開館以来、通巻113号を数え発行しております、
大変興味深い小冊子です。

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お手数おかけ致しますがどうぞ宜しくお願い致します。
プロフィール

sawararuhe

Author:sawararuhe
1994年5月より福岡県福岡市早良区石釜に、
小さな美術館を開いています。

美術館といいながら、美に憩う気ままな空間です。

「早良美術館るうゑ」。
(るうゑはドイツ語”Ruhè”)   

開館時間11:00am~5:00pm 毎週月•火 休館 入館料 200円
福岡市早良区大字石釜104-6
(092-803-1681)
http://twitter.com/sawararuhe

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